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江戸幕府の終わりが、静岡にシネマの光を導いた

人宿町人情通り界隈歴史探訪

人宿町人情通り。駿府城下町の一画、新通りと七間町通りに挟まれた旧東海道の一辺であるこの通り界隈は、人々が集う交差点でもあり、様々な歴史の交差点でもある。

その歴史を深掘りし、通り過ぎて行った人々や事々の物語を紡ぐ。
今回のテーマは、静岡映画の発祥の地、玉川座(若竹座)。


江戸幕府が終わり、大政奉還をした徳川慶喜公は、謹慎のため、人知れず静岡の宝台寺に蟄居したという。18687月末のことだった。この時、勤王、佐幕の両過激派から狙われていた公の身を守るべく警護をしたのが新門辰五郎。江戸町火消しの親分だった辰五郎は、子分100人を引き連れ静岡にやってきて、宝台院の近く、常光寺に寄宿したという。

彼は静岡の街に活気を生み、子分たちの食いぶちを稼ぐために人形浄瑠璃を興行していた玉川座の権利を買い、明治3年、歌舞伎・浄瑠璃を興行する新たな「玉川座」を竣工した。

左:常光寺 南側外観 
右:境内にある新門親分の据えた墓と親分との縁を説明する立札


常光寺、鈴木住職に話を伺った
新門辰五郎親分がどのように常光寺に寄宿していたのか等は、昭和15年の静岡大火、20年の戦災により資料がなくなり、なかなか後を辿るのが難しい、ということだった。

加えて、戦災後の復興都市計画により常光寺は割譲され、往年の姿はもはや偲ぶのは難しいそうだ。しかし、新門親分は庫裡に、子分は当寺の正門側にあった長屋に寄宿したという。彼の妻と、幕府滅亡から明治維新の激動の中で命を落としていった子分たちの墓が境内にある。

親分の残していった文化遺産はまだある。彼は火消し組の親分だったので、静岡に江戸木遣を伝えた。ここでいう木遣とは、重いものなどを運ぶときに唄われた労働歌で、それは現在でも「東嘉会」というグループに引き継がれ、ここ常光寺でも年に数回、披露されるそうだ。

本題の玉川座について調べている事を伝えると、奥から色付きの二代目歌川貞景筆「静岡玉川座棟上の図」を出してきてくださった。
常光寺では最近、結婚式が行われたそうで、境内はとても華やいだという。その話を聞いて映画館のネオンが煌びやかであったというかつての七間町を想った。

静岡玉川座棟上の図 資料提供:常光寺


玉川座
玉川座は、経営者が代わるたびに名を変えていった。若竹座となっていた明治306月中旬、静岡で初めてのキネマの光が、当座にて映写されたという。
その建っていた場所は、現在の七間町通りと駿河町通りの交差点を、駿河町通りへちょっとだけ進んだところ。駿河町通りは且つて寺町通りと呼ばれ、通りの南側にはずらりと寺が並んでいた場所。いわく、街はずれでもあった。

玉川座(若竹座)明治29年当時の位置(位置静岡市全図、資料提供:宝台寺)

玉川座(若竹座)、位置推定図(※厳密な位置ではありません) 現在

現在の、玉川座(若竹座)推定地


元来、こういった街はずれ、都市の境界部分は異界への扉が開く場所。また、様々な芸能のエネルギーが花開く場所でもあった。そんなポテンシャルを持った場所で、静岡にキネマの光がポっと宿ったのである。

そもそもが、江戸幕府という巨大なシステムが終焉を迎え、シンボルとしてのかつての将軍が、寺町通りのほぼ東に位置する宝台寺に在るというのは、ある種のエネルギーを感じさせる。その残り火のようなエネルギーは行き場をなくした、内に燻るものでもあった。それが、新門辰五郎という媒体を得て、異界へのトンネルを感じさせる寺町筋を流れ、この場所から光を放ったのだ、と考えると面白い。しかも、「常光寺」という常に光ある寺に滞在していた男を媒体にしているので、その内なる光は、長い期間にわたって灯り続ける運命を持っていたのかもしれない。


そんなわけで、この光の継承は、キネマという形となって、この「玉川座」改め「若竹座」から駿府城に向かう七間町通りに、以降、連綿と散在し続けることになったのは、歴史が物語っていることでもある。

ところで、人宿町人情通りについて、である。旧東海道は人宿町人情通りから七間町通りとの交差点で左折して駿府城に向かって伸びてゆく。しかし、この交差点を左折しないでまっすぐに東に向かうと、その終点には駿府城、城下町の東の要としての宝台院が動線を受け止めるように、あるいはエネルギーを放出するように正面に存在している。だから、といっては何だが、人宿町人情通りにも、キネマの魂というか、キネマの光は流れ込み、継承されていると感じることがある。特に、人宿町人情通りと七間町通りの交差点に建つOMACHIビルの大きな窓から放たれる光や、人宿町離宮のランタンのような壁から放たれる光を見ると、そう思わずにはいられない。

参考文献(五十音順):
静岡映画ものがたり 池野義人 著
静岡中心街誌 編者 安本博
七間町物語 ~七間町百年の記憶 発行:七間町町内会

取材協力(五十音順):
常光寺住職 鈴木氏
宝台院住職 野上氏


筆者:川合
ミュンヘン工科大学にて博士号取得。ドイツ、ミュンヘンの設計事務所に勤務し、ミュンヘン郊外のプリンツオイゲンパークという大規模住居エリア開発では、中核となる建物の実施設計などを経験し、帰国。
ドイツを中心にヨーロッパの大都市、小都市(独ロマンチック街道、仏プロバンス、伊トスカーナ)に魅せられ、ヨーロッパでの生活、旅についてツーリズムサイトあるいは某芥川賞作家の運営するサイトにてWEBライターとして執筆。